大雪通信

大雪通信

旭川市と姉妹都市である大韓民国の水原市ではそれぞれの国の行政体制、文化、教育等々を理解し

グローバルな人材を育成する目的で「旭川市・水原市 職員相互派遣研修事業」を行っております。

現在、旭川市国際交流課に在席中の姜信九(カンシング)さんは5月まで旭川市で様々な研修を受けられました。

旭川での研修の様子や、生活などをつづったレポートを書いていただきました。皆さんぜひご覧ください。

大雪通信 最終号 

H26.5.13 NEW!!

旭川に春がやって来た。
多かった雪がいつのまにか溶けて、石狩川と忠別川に流れだし、川辺には春を満喫する市民たちの楽しそうな姿が見られ、名も知らない花が伸びをしながら春を告げる伝令使となった。
今はもう私も旭川市を去らなければならない時間がだんだん近づいていることを感じながら、リュックサックを一つ背負って春を探して旅に出た。


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夕方に札幌行きの中央バスに乗って札幌駅前で降り夜9時、コーヒー一杯を飲んで10時に出発する青森行きの列車に乗った。列車の様子がかわいくて、出発する前に写真を撮ってから、寝台と、カーベット、指定、自由席に区分されているのを見学した。列車の中で眠ろうと、上になったり下になったりしてみるが激しく揺れる列車ではそんなに眠れず,7時間40分を走って青森駅に到着した。



雨が降りそうな曇天のために急いで奥羽本線の弘前行きの列車に乗って40分、ついに弘前駅に到着した。観光客専用の自転車を借りしようとしたが、まだ観光センターが開かない時間だったので、そのまま、歩いて弘前城がある公園に行くことにして,道を聞いて、看板を見ながら歩いた。疲れもあったが初めて行く道なので新鮮な気持ちで歩いていたらあまり時間がかからず公園に到着した。ところが、これが後に悲劇を呼ぶとは。。。。。

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弘前公園に咲いた様々な桜は、私の心を全て奪い取っていき、今日がちょうど満開だったのでその美しさは言葉で表現することはできなかった。宿泊先の十和田湖に行くために弘前公園を11時に出発したが駅までの距離は減らない。「あっ間違えた。出るとき時間を確認するんだった。昼を青森駅に行って食べなければならなかったのに、くたびれて弘前駅へ行く途中に食べたから時間がこんなにたくさん残るわけないよ。。。。」

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結局、青森駅前で午後1時半に乗らなければならないホテルの無料バスを20分遅れて到着したため、ホテルの予約をキャンセルして青森観光センター職員の助けを借りて、青森市内にあるホテルで宿を取り再び弘前に移動、弘前公園の夜景を満喫しながら弘前と青森を行ったり来たりの疲れを取った。

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ところで、もっと大きな問題は青森からフェリーに乗るための移動途中で発生した。
まったく標識がなくて、直感で道を歩いた。タクシーで10分で行けるという津軽海峡フェリーターミナルの標識が、見えたり見えなかったりを繰り返し、道を聞いて,歩いて歩いて2時間が過ぎた。疲れ果てた体ついにターミナルに到着、夜明け2時40分出発フェリーに身を任せたまま6時20分に函館に到着して湯の川温泉駅に向かった。古い小さな日帰り温泉だったが、疲れた体に活力を与えるには十分だった。

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こんな風に函館での日程が始まったが、とても期待していた夜景は全く見ることができなかった。'すべてが私の思い通りになれば、世の中を生きていく面白さはないだろう。'という考えで自分を慰めて、函館の夜を過ごした。

今度の旅行の最後の日程を過ごすために登別行きの列車に乗って友達が推薦してくれた時代村に向かった。水原にある民俗村程度の規模だと思った私は、4つの公演をすべて見るために忙しく動き回らなければならないと覚悟を決めていたが、私の考えは完全に外れた。公演場は4ヵ所がすべてくっ付いていた。それでも公演は面白かったし、特に子供たちが大きく笑うのを見て出演者たちがそれなりに準備をたくさんしたのだという気がした。その間旅行しながら韓国旅行客をまったく見なかったが、やはり登別に帰ったら韓国旅行客が多かった。


いつのまにか時間は流れて西川市長に帰国の挨拶をして荷物を整理してみると、1年間の生活がこんなに早く過ぎて行くのならもう少し一生懸命生活すれば良かったと惜しさが残った。

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最後の週末、男山自然公園と嵐山にある北邦野草園の色々な野花、そして、旭山動物園と最後の花見見物を記憶の中に残した。

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大雪山の雪が溶けて川を作るが、いつの間にその山は再び白い雪で覆われるのだ。夏、秋、冬、そして春を迎えながら過ごした1年の交換勤務があと1日だけを残し名残惜しさを感じながら、荷造りを進める。

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お元気で。。。。。
 

 

大雪通信 第4号 

H26.4.9 NEW!!

旭川市の各部署の業務研修を終えて。

昨年8日28日、議会事務局の研修を最初として私の本格的な旭川市役所の研修が始まりました。期待心と言語に対する恐怖が市役所に向かう足を重くしたが、議会事務局の職員から業務と施設に対する親切な説明を聞きながら重かった心が軽くなりました。

そして、続く総合政策部の研修、日本の都市整備について関心が多かった私は大きな期待を持って研修に参加しましたが、私が思ったまちづくりと全然違いまし た。水原市の「まちづくり」は自分が住んでいる町を変化させて住民が暮らしたい、良い町を作るということでつが、まちづくり推進課の仕事は旭川市の都市全 体の発展に向けての企画のため、少ない職員たちが大きな都市をどうやって作ったらいいかを考えて、一生懸命に働いていることを知って驚きました。日本での 「まちづくり」は広い意味ですけど、韓国では狭い意味で使っています。

また、緑の旭川を作るために努力し、遅い時間まで現場を説明して 案内してくれたみどり公園課、2002年に旭川へ来た時に見たJR旭川駅は新たな姿になっていました。そして、駅の後方にある土地を開発して忠別川の周辺 で造成されるガーデンと公園、これからどんな姿で生まれ変わるか大変気になります。
 

水原市にはない、旭川空港の施設を見 学、市庁舎の中にある健康検診センターなど、職員のため色々な福利厚生施策が私の目を引きました。車に乗って、旭川市のあちらこちらを見回しながら土地価 格を教えてくれて、モデルハウスをみながら固定財産税の賦課基準を私に教えてくれた税務部の職員たち。4日間の市政放送制作のための撮影から録音、編集ま で一緒に参加できるように機会を与えた広報公聴課の職員と録音会社の関係者、生まれて初めてぺーパンダムの中にある道を歩きながら施設を見学してから大変 だったが、ダムの近くにあるパークゴルフ場で初めてボールを打ってみました。

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〇クリーンセンターの研修


環境の重要性に気づかさせられながら一緒に 清掃工場で作業を行った環境部の研修など全部署を絶えず事務室と現場を行き来しながら、遅い時間まで市民たちと一緒にする席に、そして、若い職員たちと市 長がざっくばらんに話し合う会合にも参加しました。準備した職員も参加者も度を過ぎない、ありのままの自由な雰囲気が私たちと全く異なった姿でした。市役 所で準備した研修とは別に様々な体験研修を通じて外国人が一日も早く日本文化に適応できるように民間団体で準備した「友達作り」の規模は大きくなくで、単 純ではありますがそれなりに素朴な楽しさを感じて、お互いの親密さが増えるのに十分な良いプログラムでした。


日本での生活の中で半年が経過した時点で、担当者とともに神奈川県から静岡県まで行った国内研修はこれまで日本の多くの地域を業務で行ってきた私が感じられなかった 新たな文化の体験でした。江戸時代に東京に向かった大名行列の足跡に沿って10月中旬の天気にも汗を流しながら4時間以上歩いた道、秦野市、藤枝市を訪問 し、国際交流関係についてお互いに多くの意見を交わして小さな地域であるにもかかわらず、在日韓国民団といい関係を保ちながら様々な行事を開催するという 話を聞いて、多くのお金をかけなくても市民たちが楽しくて幸せにできる方法が多いということを感じることができました。


教育委員会の研修は事前準備に多くの時間と努力を費やしたが、そのどの研修よりも私の心に深く刻まれています。神楽小学校5、6年生の子供たちと一緒に遊び で韓国の3・6・9ゲームもしました。子供たちの自由な姿と私のために歌ってくれた"故郷"を聞くと韓国に残してきた家族を思い出させ、小さな手で私に書 いた手紙を受けとり大きな感動を受けました。続いて、旭川中学校2年生の生徒たちと一緒に実施した社会授業時間、教科書にある"韓国の産業"を、過去と現 代を示す"韓国産業の発展について"というタイトルのPPTを作って授業をした後で、全校生徒に韓国の文化や水原の観光地について簡略に紹介もしました。 この席で学生たちが見せてくれた剣道試演や合唱は私の準備不足をさらに恥ずかしいようにし、いろんな国の文化を学生たちに自ら見せてくださった校長先生の 優しさや親切さに苦労した授業が春の雪が溶けるようにすぐ溶けていきました。しかし生徒たちの不意の質問は私を戸惑わせたり笑いを与えたりしました。

 

現在、旭川駅の隣では昔のホテルを崩してそこに大型ショッピングモールであるイオンを建てるため、工事の真っ最中です。ところで駅を新たに作るとき旭川駅と イオンを連結できるように予め壁を崩しやすいように作ったという都市建築部の職員に説明を聞いてびっくりしました。このすべてが20年前に計画されたもの で、そのすべてがもう完成を間近に控えているということでした。未来に向けて子孫達のために、自然を保存し、都市を作っていく旭川。そして30年以上の机 などを使用する職員たちを見ると、これまで私たちはあまりにもぜいたくをしてきたのではないか、思うようになりました。

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〇駅の隣にあるイオン建設現場

各部署の研修は、 行政改革部、子育て支援部、土木事業所、経済観光部の研修を最後に10ヶ月間の研修が幕を閉じました。私も水原市で一時勤務したことがある行政改革部署は 部長を含む4人しかいない超ミニ部署で、その人員で市の行政改革をやるということに驚きを禁じえなかったです。"水原市にもこのような部署を作ると、職員たちが仕事をするのかな?"

 


旭川で生活しながら最も気になった除雪作業、"この多くの雪をどのように片付けて処理するのかな?" 川の水を市内に 流れるようにする施設を作って住民たち自らが雪を排雪構に捨てては石狩川に流れるように間間に顎を作って流速を維持し、多くの住民が一度にあちこちで雪を 捨てたら問題が発生しないかという私の質問に対し、それを防止するため、各地域別に利用時間を決めて町内会で管理するという回答を聞きました。そして多く の雪がダンプ車両に載ってあちこちに設置された7mの高さの雪捨て場、下水処理施設の冷却水として使うために作った施設などに絶えず雪に入って捨てられていました。

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最初は川が多くて川に全て捨てればいいじゃないかと尋ねたら、洪水の危険があって川に直接捨てるのは国で禁止していると、それで予算がかかっても雪捨て場を作って民間会社に管理を委託しているということでした。

そのうち、いろいろな行事のリーフレットと観光広報パンフレットの翻訳をお手伝いした観光課の2日間の研修は私が味わうことができなかった旭川のあちこちを新たに発見する楽しい時間でした。美術館では担当者から作家が作品 を作るようになった背景について詳しく説明を聞くことができて、特に良かったです。そして、旭川市の経済と都市発展のために産業団地を造成して企業を誘致 するために余裕なく忙しい企業立地課、そして産業振興課と工業技術センター、工芸センターは企業のために市が何をすべきかを考える意味のある研修の実施 だったと思います。このような研修を終えて今、ロシアとの物産展の準備で忙しい業務を推進している経済交流課の職員から、各種イベントと経済交流のための 支援プログラムについて説明を聞くのを最後に、長くて短い市役所の各部署研修が幕を閉じました。

しかし、未だに私の記憶に残っているのは20年前にイギリスの社会福祉制度研修で見た障害者と市民が一緒に暮らしている村でした。そして、ここ旭川の福祉村を見て市がどんなことに努力をして市民と共にすべきかをさとりました。
一緒に生きていくことが決して容易なことではないことに…。
韓国ドラマの有名なせりふの中で、恋人たちが最も多く使用する言葉が思い出されます。

 


"私の中にあなたがいる !!!!"

皆さん! 本当に、ありがとう ございました!!!


 

 

 

 

大雪通信 第3号 

H26.3.3 NEW!!

もう日本に来て10ヵ月が近づいています。
水原市に帰るまで残った2ヶ月しても半。

一人暮らしにさびしかったりしたがたくさんのことを見て感じられる時間でした。心配した北海道の冬も、多くのことを楽しむことはできなかったが、インターネットで調べて隣の同僚に聞いて計画を立てて休日の度に行く旅の楽しみは孤独な生活をより活気あふれてて楽しい時間にしていくのに大きな助けをくれました。

カメラひとつだけを持ち出かけた私は旭川と北海道の冬を思いっきりカメラに収めてみました。冬を迎えしようとする忠別川と石狩川、白い雪を一抱え胸に盛るってしまった常盤公園は旭川の冬しか感じられない光景でした。

忠別川の風景

忠別川の風景

常葉公園の雪

常葉公園の雪

市内の冬

市内の冬

旭川の冬祭り、遠く水原市から訪ねてきた友達が屋根ほど積もった雪を見て驚きました。石狩川で行われた雪の彫刻、見た氷彫刻、旭川駅の隣に位置した大雪地ビールで味わったビールとジンギスカン料理、そして旭山動物園で動物たちの動きとペンギン散歩を見物しながら50歳を越えた年にも楽しんでいる姿……。

買い物公園の氷彫刻

買い物公園の氷彫刻

旭山動物園の白熊

旭山動物園の白熊

ペンギンの散歩

ペンギンの散歩

 

そして、層雲峡の氷爆祭りでは雪で作られたあちこちを出入りしながら口いっぱいに笑いを込めて、ホテルに戻って暖かい温泉に浸かり、疲労を慰めました。続いて小樽の運河と寿司、札幌の雪祭りで見た大きな彫刻、すべてが友達には初めて感じる冬の味覚と幸せでした。

層雲峡の氷爆祭り

層雲峡の氷爆祭り

小樽運河の夜景

小樽運河の夜景

札幌の大雪彫刻

札幌の大雪彫刻

2月の終わりを送り、流氷を見るために旅行計画を立てました。2泊3日の日程で紋別とそして網走、知床、ウトロにつながるバスと列車旅行を準備したが事務室の同僚が車で一緒に旅行しようと提案してありがたい気持ちで土曜日の早朝5時に1泊2日の日程で雪が積もった道を走りました。 初めて見る流氷と初めて乗った砕氷船、氷を分ける砕氷船の轟くようなドリル音は閉じ込められていた私の心を明るく開けてくれました。
そして、紋別で有名な食べ物であるかまぼこを買ってカウンターにあげたら店員が油で揚げてもう一度くれました。かまぼこを持って2階に上がり海を眺めながら暖かいお茶と一緒に寒さを溶かしながらしばらく休息を取った後、網走に向けて出発しました。続いた網走の監獄、寒い地方に来て農業のための刑務所で始めて、道路を開設して死んでいった彼ら……。
 

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紋別のガリンコ号

紋別である有名なかまぼこ

紋別である有名なかまぼこ

かまぼこ

かまぼこ

私が予約したウトロのホテルが間違って、また、同僚の名前でホテルを予約して到着したらホテルが丘の上に位置していました。早い時間に夕飯を食べてオーロラレーザーショーを見るためにホテルで用意してくれたシャトルバスを乗ってすぐに到着した小さな町はもうそれぞれのホテルのバスが駐車場を埋め尽くされました。昔、オーロラが発生したことを記念して今はレーザーでその光景を演出し、地域を訪れた観光客たちにまた違った趣を与えながら、帰った彼らに明るい笑顔で手を振ってあいさつをする姿、これこそが自分の村を向けた努力で得られる小さな幸せというのを感じて帰って来ました。

網走の知床の白鳥公園

網走の知床の白鳥公園

知床の凍ってしまった海

知床の凍ってしまった海

ウトルのオロラレーザーショー

ウトルのオロラレーザーショー

いつのまにか旭川にも冬が立ち去る音が聞こえます。道の雪が溶けて流れる音、溶けた雪を踏みながら出すキュッキュ、窓辺を以前より早い時間に訪れる暖かな朝影……。

 

 

大雪通信 第2号 

H25.12.1 NEW!!

旭川の秋が深まっています。いつの間にか日本に来て6ヶ月、旭川に来て5ヵ月になりました。 初めて迎える北海道と旭川の秋は韓国の秋と似てるようで異なるように、モーツァルトのビアノソナタの旋律のような軽快な感じを与えてくれました。

10月初旬に、大雪山の黒岳の頂上に登りながら、消えていく雪が惜しい「もっと早く来るはずだよ、とても遅かったね」という考えが消えあることも前に、一週間後に訪れた旭岳は夜明けに降った雪で高い峰が雪国に変わってしまいました。山の下では黄色い木の葉が持って、赤いナナカマドの実を雪で閉じ込めた頂上でカメラのシャッターを押し続けました。

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●大雪山の頂上 (1,984m)

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●姿見ロープウェア駅 (1,600m)

旭岳の頂上を目標して1時間半を登った私は経験に滑る危険に直面し、頂上を200メートル残して降りなければならなかったです。「来年春にまた来るから持って・・・」

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●旭岳を後に残して立つ(2,291m)

晩秋を迎える前に降った雨と雪、久しぶりに訪れた常磐公園の消えていく秋、転がっている落ち葉たちを見ながら、「秋は男の季節だ」としたか、いつの間にか秋を感じる物悲しい独身男になってしまいました。

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●常磐公園の晩秋

秋の趣を感じてみようとインターネットで見つけた、北見市の菊祭り、バスに乗って3時間半で到着して感じたうっとり、様々な形の菊と香り、そして、私の空腹を満たす北見の食べ物の塩焼きそば、オホーツク生ビール、その味は決して忘れられません。お腹を満たした後、訪ねた100年前に建てられたピアソン宣教師夫婦記念館、ハッカ博物館は私に小さな喜びと幸せを感じさせてくれました。

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●北見市の菊祭り

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●北見市食べ物、塩焼きそば

 

11月に4日間降った雪でもう冬になったという私の考えを無残に破られた11月中旬の日曜日、久しぶりに青い空を見ることができました。窓に押し寄せた強烈な日差しは私を外に出だしで秋のふところの中を思う存分走るようにしました。忠別川にある自転車道を走りながら、「ア!まだ、秋が終わってないんだね、単に雪が降っただけだよ。」を思いながら精一杯ベダルをこぎました。ますます私の目の前に迫る大雪山にある深雪の高峰らが私を持っているようです。

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●忠別川のアシ

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●アシと大雪山


東川町にある東神橋を通って走っていた道は工事によってもっと先に進むことができませんでした。
「いつまた、はしってみることもできるだろうかな?」

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●東川町の東神橋

2012年の旭川秋は私の深い感動と惜しさを残したまま過ぎた6ヵ月と共に立ち去りました。
 

 

大雪通信 第1号 

H25.8.26 NEW!!

2013年6月20日、大阪の大雨を後にして、到着した旭川はとても静かできれいな印象だ。少し、涼しいと思って持ってきたジャケットをかけても全然暑くなかった。このように、私の旭川での11ヶ月間の生活が始まった。

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◆大雨か降っている関西国際空港

6月24日に到着した荷物を持って家に帰って荷物を整理して必要なものをあれこれ買い始めた。部屋に飾る装飾品と食べものを買った。

 

6月28日に旭川市の西川将人市長を表敬訪問した。

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◆14年ぶりに訪問した旭川市役所

2年前に、水原華城文化祭の期間中に職員と共に旭川市の訪問団の担当チーム長として西川市長と一行を案内したことがあったので。市長が私を見て「顔をが思い出した」とおっしゃりながらあれこれと聞いた。私は下手な日本語で市長の質問に答えた。いつも相手を楽にしてくださって、笑う姿がとてもよかった。

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◆西川将人市長様と挨拶

7月1日に新千歳国際空港で出迎えた水原市の訪問団と5日間を共に、土木事業所、環境部などを研修、青い池、望岳台、ぜるぶの丘、旭山動物園、北海道伝統美術工芸村視察した。私が旭川にきて初めて、隣の町を見物しながらいつかは一人で旅行をすることを決心した。

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旭山動物園に訪問

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◆除雪車両紹介を受ける

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◆訪問団の市長表敬訪問

最も待って楽しみにしていた家族たちが新千歳国際空港に7月25日、午後12時50分に到着した。嬉しくて懐かしい顔、水原に出てからもう2ヶ月しかたっていないが多くの時間が過ぎたようだった。

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◆望岳台で家族と一緒に


そして、私の友人に青い池、白髭の滝、望岳台、美瑛、富良野など案内してもらった。
そして、友人と一緒に訪れたそば屋[四季の風]はひっそりと静まりかえった雰囲気にそばがもっとおいしかった。あすのさんに本当に感謝を捧げる。

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◆富良野のファーム富田
 

早朝から起きて後でも観光を早く終えて家で休んで午後6時に旭川駅で列車に乗って訪れた永山屯田祭りの屯山太鼓は日本の祭りの興を感じるのに十分だった。帰りには西川市長に会って私の家族たちを紹介することができた。ところが駅に着いたら列車が出たばかりで、次の列車まで1時間半を待たなければならなかった。

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◆永山屯田祭りの屯山太鼓行列

ついに待ちに待った旭川夏祭りが開始された。通りでは私が韓国語で祭り参加を広報した録音放送が流れていた。初日の夜、石狩川では道新納涼花火大会の美しくて多様な花火が夜空を飾った。

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◆石狩川の道新納涼花火大会

浴衣を着て参加した市民パレードは初めての私には難しかった。不自然な服装、もつれたステップ、間違えた動作、私のそばのケントンさんは格好よく大声を上げながら楽しく踊っていた。私は真似することに忙しかった。それでも、おもしろくて興味深い時間だった。

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◆市民パレードに参加

祭りの最後の日午後にカメラを持って歩いて3.6通りに行った。徐々に集まり始めた人波、ラーメン祭り、大雪3•6祭りの開始を見ながら、だんだん、集まる人波に驚いたし、参加する人たちの表情を見て驚いた。

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◆大雪連合神輿

夜10時になっても疲れを知らない人たち、その楽しさ、さらに驚いたのは永山で見た屯山太鼓の行列がここに現れたのだった。私たちは移動舞台をトラックの上に設置して行事が終わったら撤去しましだが、ここは人の力で連れていかれている山車だ。
いつのまにか私の旭川での2ヶ月間の生活がこんなに始まっていった。
 

 

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